自身メソッドで人生が上手くいく!

もっと詳しいプロフィール(長文)

 

私に興味を持っていただけてとても嬉しいです。とても長くなりますが、プロフィールを記載しておこうと思います。是非読んでみて下さい。

生い立ち・難聴

 

私は、京都の和装業界の下請けの会社を経営している父母のもとに、双子のうちの一人として生まれました。私と姉の下に、三学年下の妹が生まれ、私は三人姉妹の真ん中です。

私は呼ばれても返事しない、ぼやっとした子どもだったため、幼稚園の先生が「難聴なのではないか、医者の診断を受けてみたらどうか?」と言うまでは、誰も私が難聴と気づかなかったようです。

多分生まれもっての難聴・聴覚障害だと思われます。

小学生の時、難聴でありながら普通の学校に通っていました。

まわりの人の話がよく聞こえないし、聞こえるところと聞こえないところがまだらにある「感音性難聴」のため、人の話は大まかに「こういう事を話しているんだろうなぁ」ということしかわからなかったのだが、自分で自分が難聴だということは受け入れたくなかったです。

また、小学生の頃に与えられた補聴器は、相手の話よりも周りの雑音の方を沢山ひろってしまうので、つけるとかえって聞こえなくなるので結局つけませんでした。

 

難聴とは

ここで難聴というものについて説明しておきます。

難聴というのは「まわりの音が全く聞こえない」のではなくて、「自分の心臓の鼓動」とか「耳鳴り」がしています。
耳鳴りは心の不安や迷いがある時に、余計に大きく響きます。

「聞こえなかったら、もう一回言うから、聞いてね」とひとは言うのですが、実際のところ、「もう一度言うだけで聞こえる」ということはあまりなく、「何度も」言ってもらわないといけません。

また、相手の声が「聞こえない」というよりは「ぼやけて聞こえる」ため、話してくれる人は私に顔を向けて、口元をはっきりとあけて、一文字ずつ明瞭に、ひらがなで書くように、話してくれる必要があります。

例えば「わたしは、す・ず・き、と、いいます」と言う風に区切りながら話して頂けるとわかります。

日本は昔から「秘すれば花」といい、「はっきりと言わない」ことを「美徳」とするため、はっきり聞こえるように言ってください、と頼むことが、無粋なことであるかのように受け取られることがあります。

「空気を読みなさい」「言わなくてもわかるでしょう」のような風潮のある、特に京都の地で難聴者として生きるのは、なかなかツライものがあります。

難聴で聞こえない、というものがどんなものなのか、わかる人は誰もいないし、今聞こえたとしてそれが合っているよりも、間違えて聞こえている事が多い、ということは、どれだけの不安感があるか、どれだけ自分に自信を失わせるか、というのは、難聴者でなければわからないことです。

人と関わっても、しょっちゅう聞き返さなければならないので、そのうちに相手に悪いと思うようになり遠慮してしまいます
相手も「なんだ、まだ聞こえないのか」といらついてきます。
ですから、人間関係が作りにくくなります。

ただ単に「耳がひきこもっている」だけなのですが、聴覚障害があると「本人がひきこもりたく」なってきます。

また、ひとは誰でも聞こえる音声を発するので、難聴者の話す声音はぼやっとしてはっきりしていません。

聞こえにくく、話しにくい為、人とのコミュニケーションが作りにくいのです。

聴覚に障害がありながら、普通の学校に通うことはやはり無理なことだっただろうと思います。

「自分の耳が悪いから」というのがそのうちに「自分が悪いから」という風に思えてくるのです。

人との距離がどうしても出来てしまうので、必然的に自分一人の世界にこもってしまいます。「ひきこもり」と似たようになります。

また、聞こえないために空気が読めないし、ひとの考えていることが想像できなかったりします。そのため「発達障害」ではなくても、似たようなことになります。

(それは30代になって、自分の耳にあった補聴器と出会ったため、その後改善されました。)

 

暗い坂を転げ落ちる

高校時代、いわば「暗い坂をころがりおちる」ような時期だったと思います。

私はこんな自分は「人に変な気遣いをさせてしまう、厄介者だ」というように思うようになりました。親にもよく怒られていたので、「こんな自分は親にも愛されていない」と思い込むようになりました。

ふと「自分は親に愛されていないのではないか、こんなに怒られてばかりだもの。私の気持ちはわかってくれない。私はこれまで懸命にやってきたの、勉強はこれ以上できない位頑張ってきたのに、点数が悪いといって怒られる、もうどうしろっていうの。」と思い出すと、一気に性格が暗くなっていきました。

長い暗い坂道をころがりおちるように・・・。

親に育ててもらいながら、その親に対して私はひがんで、すねて、ひねくれてしまいました。

 

心の支えは絵と本

 

ひねくれて性格が暗くなっても、非行に走らずにすんだのは、絵が好きだったことではないかと思います。
5歳から10歳まで児童絵画教室に通って、絵が好きになったので、よく美術館に行きました。

小学生の時もよく親に美術館に連れられて行きました。その影響もあり、高校生の頃、心が寂しくてすさんでいても、美術館に行って、綺麗な絵をみることで、私の心は救われました。

また、耳が悪いので本をよく読みました。
小学生の時にミヒャエル・エンデの「モモ」を買ってもらい(初版本です)繰り返し読みました。動物の言葉がわかるドリトル先生のシリーズもよく読みました。

そういった絵と物語は、暗かった私の心のなかの一筋の灯りでした。

 

高校を卒業するとき、受験はことごとく失敗し、池坊の華道を勉強する専門学校をみつけてそこに入ることにしました。入学試験も要りませんでした。

そこでは華道を中心にした日本古来の文化を勉強することができる学校でした。

その学校に進んで初めて親友と呼べる人と出会いました。

心の暗さが似ていたのです。親とうまくいかないという点が似ていました。心の中の愚痴を吐くように話せる相手がみつかったという点で、友人にとっても私にとっても、またとない相手でした。

 

一人で動けるように(努力のはじまり)

二十歳頃にSF作家新井素子さんの小説を読みました。それは、幼馴染の女の子二人の「依存、共依存」を取り扱った小説でした。

その中に、怖がりで一人でどこにも行けない女の子が、電車の切符を買う窓口でおじさんに怒鳴られてから、それ以後一人で切符も買えないし、時刻表も読めない、ということでした。

その時、私も時刻表は自分で読んだことがない、ということに気づきました。

「このままでは、私、本当にダメになるかも!」と危惧しました。(今の言い方で言うと「ヤバイかも!」です)

それで時刻表と関西地方の情報雑誌を買って、休みの日ごとに、関西の美術館と言う美術館をしらみつぶしに一人ででかける、ということを決め、「一人で時刻表を見て、出かける練習」というのをしました。

その頃から、「このまま年をとってはいけないよな~」と思える自分の極度の引っ込み思案とこわがりの習性(行動と考え方、心の持ち方)を変えようと努力し始めました。

 

推理小説と心理学の本を読みまくる

 

ちょうどその頃アガサ・クリスティの推理小説を原作にした映画が上映されていました。書店でも見えたアガサ・クリスティの本のコーナーが出来ていて、光り輝いて見えました。

この時期、推理小説の「誰が犯人か?」という謎解きをしているうちに、

  • 「この人はどうして犯罪を起こしたか?」
  • 「どうしてこういう犯罪を犯すようになったのか?」
  • 「この人はどうして恨まれるようなことをしたのか?」
  • 「この人はどうして手をくださずにすんだのか?」
    などと、登場人物の行動の裏の「動機」と、その人の習癖や感情について、深く洞察するようになりました。

これが後に、セラピスト・カウンセラーとして活躍していく下敷きになりました。

 

宝塚歌劇に はまる

 

子供の頃からよく乗っていた阪急電車の車内広告には昔から宝塚歌劇の広告がありました。子供の頃は「なに、このむっちゃ濃い化粧の人は? 世の中には訳のわからないものが好きな人がいるんだなぁ」と思っていました。

ある時、勤務先のおばさんから「ゆりちゃん、ビデオ録画、してくれへんか?」と頼まれました。それは宝塚歌劇の舞台収録されたものをTV放送していた某民放の番組でした。
「げぇー、Nさん、あんなケバイ化粧のんがえぇの」とかボロカスにけなしながらも、タイマー録画を引き受けました。

たまたま録画したのをちらっと見てみたら、思ったよりよかったのです。
日本版のベルばらという感じの作品『紫子(ゆかりこ)』でした。日本の古典文学『とりかえばや物語』を戦国時代に置き換えた物語でした。

女性なのに、亡くなったうりふたつの兄の身代わりで、城を護るために戦うヒロイン。まるでオスカル。
その傍には、長身で恰好いい部下がいて、これがアンドレのような。

思わずため息~。
「恰好いい。アンドレみたいな役どころの人は日向薫さんというのか・・・。」
と興味をしめし、それだけでなく、あれほど嫌がっていた宝塚歌劇にも好感をもち
「へぇ、あのケバイ化粧も舞台だと丁度いいのか・・・。」
と思い、それ以後宝塚歌劇のテレビ放送は欠かさず見るようになりました。

そのうちに、ビデオ録画を頼んできたおばさんに、生の宝塚の舞台に連れて行ってもらいました。オスカル的な役を主演した方の退団公演でした。

その後、一人で宝塚歌劇を見に行くようになると、アンドレ的な役をしていた日向薫さんがトップ男役になり、タカラヅカ版の「ラストエンペラー」の舞台『紫禁城の落日』で退団されるまでめっちゃ応援していました。

その頃、タカラヅカの黄金期で、天海祐希さん、真矢みきさんなど今テレビで大活躍している方々が宝塚歌劇の舞台で活躍されていました。

 

宝塚歌劇にふれたことで、よかったこと

 

  1. 自分が嫌い、と思っていることでも、食わず嫌いであり、知ってみると「はまる」ほど熱中してしまうものがある・・・ということが理解できました。
    嫌いでも、実情を知ることで受け入れることができる・・・ということを体験しました。
  2. 女性が演じる男性の姿をみることで、意味なく男性恐怖症だったのが改善できました。色々な男性の姿があるんだ、とわかりました。
    そして今でいう「ジェンダー」についての意識ができました。
  3. 国内外、現代もの、古典ものなど、幅広く物語を見ていく事で、心の視野が広がった。特に飛鳥時代、江戸時代など日本の古典をもとにした歴史ものを見ることで「日本っていいな」という気持ちになりました。
  4. 宝塚歌劇ファンのための雑誌『歌劇』のファンの投稿欄『高声低声』に毎号投稿し、『ベルサイユのばら』再演の舞台評の一番目に出たこと、熱烈なファンとして過ごす数年の間に、10回投稿が載せてもらえたことはとても光栄でした。

 

精神世界の本を読みまくる

 

宝塚歌劇にはまりながら、同時にはまっていたのが「精神世界の探求」

この頃は書店に「精神世界の探求」のコーナーが充実していました。
図書館でも「心理学系」のコーナーに行き、『タオのプーさん』という本に出会い、何度も繰り返して読むだけでなく、自分でも買って読んでいました。

山川紘矢・亜希子夫妻の翻訳で有名な「アウト・オン・ア・リム」を読みました。
アメリカの大女優シャーリー・マクレーンの実らない恋から始まる神秘体験と心の旅路を描いた一連の自伝書です。

手あたり次第、精神世界の探求をしていきました。この時代の読書は私の肥やしになっています。

心が洗われるような文章を読んでいて、とても気持ちが良かったです。

ただ、自分の性格を変えたりするにはまだ至らず、「気が弱くて、くよくよして、自信のかけらもない、こんな自分なんて、どうしたらいいんだろう」と考えていました。

「神秘体験」などのいいことは、本を書いた人に起こるだけで、自分には何も起こらない、どうやったらこんないいことが起こるんだろう、と考えていました。

 

スリーインワンに出会う。

 

「『身体に聞くスリーインワン』っていうのがあるんだけど、興味ある?」
と親戚から情報が入ってきました。

丁度その頃「寝ながら潜在意識に聞くヒプノシス・セラピー」に興味がありました。(松本東洋さんの『パーソナルな神話』を読みまくっていました。それこそ手垢がついて本がぼろぼろになるまで読んでいました。)

神戸の方でセッションをやってる人がいる、というので受けました。
セッションを受けると、過去に起こったことを思い出しやすかったです。
でも心の解放にはもう一つかなぁ、と思っていました。

 

絵本

 

丁度その頃、はじめて絵本を描きました。
ぞうさんの絵本です。

絵本作家として初めての作品です。

もしかして今にして思うと、セッションの効果がそういう風に現れていたのかもしれません。

 

体の声を聴く

知人の知り合いに「身体に聞くのをしてるひと」がいる、というのが紹介してもらいました。

まずセッションを受けました。

よくわかりませんでした。
自分の腕が止まっている、動いているという「反応」を示していると言っても、自分の感覚では「へ? そうなん?」という感じでした。

でも「なんとなく良いような気がする」と感じて、やり方の勉強を始めることにしました。

それはセッションをしてくれたSさんが私のペースや感覚、体調を尊重してくれる方だったからです。
例えば日時を約束するとします。都合が悪くなったらいつでも変えるから、私とあなたとで、調子の良い日程で行いましょう、ということを言う人でした。

それまでは「約束というものはやぶってはいけない。都合が悪くなっても約束は守らないといけないのなら、約束って下手にできない」と思っていました。

・二人で同等の人間として、会いましょう。
・教える側も教わる側もどっちが偉いというものではないんですよ。
という意識がとても新鮮で、私にはありがたかったです。

 

スリーインワンを学ぶ

 

スリーインワンというのは

身体と心と魂が一つに組み合わさって人が生きている

ということを現わしています。

  • 頭で考える「思考」レベル
  • 心で感じる「感情」レベル
  • 身体で実感する「細胞」レベルの三つが組み合わさっている、ということでもあります。

スリーインワンではすべての人はその存在はそれぞれ個性がある、ということに注目します。一人一人考えることも感じることも生き方も違います。
誰一人として、自分と同じ人間はこの世にいない、たった一人のユニークな存在であるということをよく言います。

男性であるとか女性である、とか。国や宗教や年代などで、ひとくくりにして「これこれの人々は何々である」という見方が巷でよくされていますが、そういうものもあるにはあるけれども、それは一面であって、それだけでその人がわかるかというと、そういうもんではないですよ、人は一人一人、違うんですよ。ということを言います。

そういう考え方や物の見方は、初めてだったため、私は目からウロコでした。

スリーインワンに出会って、私はもう一度生まれ直した、といってもいい位の感覚でした。

身体に聞く「筋肉反射テスト」をマスターしていくうちに、この普遍的で素晴らしいヒーリングツールで自分の心が癒されていくのを感じました。

そして、この身体に聞く方法で、多くの悩める人の心を救いたいと思いました。

 

身体に聞くことは自分の魂に聞くこと。

 

身体に聞いていくうちに、だんだん自分にとって、すっきりする方向の感じ方、考え方をした時、身体は「イエス」と答えを出す、ということを実感してきました。

「謙虚でいることが大事」と習ったことから、「そうか、自分を認めると鼻高々になってだめになるんだな」と勘違いし、そこから「自分をだめだと思うこと」が始まったのではないかと、気づきました。

また、難聴であることから、私は必ずどこか、聴き間違える、と思うことで、自信をどんどんなくしていきました。

身体に聞いていくと、それは大した問題じゃない、と出てきました。

自分が自分の人生に、生まれてくる時、両親を選び、兄弟姉妹を選び、親戚を選び、この身体を選び、このDNAを選んできました。

その「自分」に誇りをもてばいい、ということを思います。

 

身体の勉強をし始める

 

身体の声を聴く、ということを追求しているうちに、身体そのものの仕組みをもっと理解した方がいいのではないか、と思いました。

そして、T先生をはじめとして、あらゆるボディワークを勉強して行きました。

  • 自然体チューニング
  • フェルデンクライス
  • アレキサンダー・テクニーク
  • ボーンズ・フォー・ライフ
  • ロルフィング
  • ボディトーク
    他に
  • 声楽・太極拳やヨガ・ピラティスなど
    受けていきました。

心が健やかな時は身体の軸もしゃんとする、ということを経験していきました。

身体を整えると心も整っていくこともわかってきました。

人と人の関係性は、自分と自分の関係(自分が自分をどう捉えているか)ということにも表れています。

自分で自分をどうとらえるか、ということは、つまり自分と親の関係でもあります。

 

自分の身体に話しかける

 

ボディワークを勉強していくうちに、自然に、自分の身体に対して話しかけるようになりました。

自分で自分を励ますことができた時、自分にとって大きな慰めになり、勇気になります。

いくら他人が自分を励ましてくれたとしても、自分が自分を認めていなくて、自分自身にケチをつけていたら、せっかくの他人からの励ましも「なかったこと」にしてしまいます。

そして、自分の身体は自分の生まれてから今日までの、歴史を全部知っているのです。

脳は可塑性があり、つねに今までの履歴を残したうえで、アップデートしていきます。身体も同じです。

どんなつまらないことも良かったと思うことも、すべてあったうえでの今の自分です。

ですから、どう転んでも、今の自分は今の自分です。
でも、未来の自分は今の自分以上のものとなりうるのです。

身体は「過去」に食べたもので出来ています。
「過去」に運動して得た筋力があります。

脳は「過去」に学んで得た知識があります。
「過去」に動いて上手くいったこと、うまくいかなかったことなどの「経験」があります。

今の自分は「過去の積み重ね」です。
それでいて、どの過去のシチュエーションを選ぶかは自由です。
上手くいった時の反応を選んで、人生を好転させてもいい。
上手くいかなかった時の反応を選んで、空回り人生を歩んでもいい。

「今」の瞬間は常に自由なのです。
目の前に起こっていることに対して、恐れて引きこもってもいい。
何か楽しいことをしながら引きこもってもいい。
いやいやながら出かけて行ってもいい。
楽しいことをしようと思って出かけてもいい。

 

自分にとって真実と思うことは健康につながる

 

自分と対話していくうちに、自分が自分を貶めるようなことを考えると体の調子が悪くなる、ということが起こるようになりました。

「自分なんてこの程度のもんや」
みたいなことを考えると、頭が痛くなったり色々うまくいかなくなったりするようになりました。

それだけでなく、他人を貶めるようなことを考えると、同じように頭が痛くなるようになりました。

まるで西遊記に出てくる孫悟空の頭の輪のようなものです。

それがセンサーのように働いて、慢心して自分の道を外すことがないようにしてくれています。

 

「スピリチュアル路線」


私は、スリーインワンというヒーリングを学ぶ前に
もう一つの路線が同時進行で始まっていました。

それが「スピリチュアル路線」です。
自分のなかのもう一人の自分「内なる自己」と対話していくうちに、「神との対話」もできるようになってきました。

 

 

観音様おでまし~~!

(youtubeの動画にしています)
【漫画】願いを叶える観音様の話

まだヒーリングなどの勉強を何もしていない頃のことです。
私は友人から「私の友達が体をこわして困っている」という話を聞きました。
私はその時、その見知らぬ人(友人の友人)の為に、何かできることはないか、と思いました。
それで近くの寺に行き、お堂の処で「私になにかできませんか?」と尋ねました。
それから龍神様がおられるという池に行き、お祈りしました。
「私に何かできることがあれば、させてください。
この件でお金にならなくてもいいです。
この私にできることなら、何でもします」
とお祈りしました。

お祈りが終わったとたんに、目のなかに観音様が現れました。

観音様は瞳の眼球に貼りつかれたようです。
どこを見ても、何を見ても、目に貼りつかれた白い線の観音様を越して、でしか見られません。

観音様はこの世のものとは思えない位、お綺麗な白衣観音様でした。

この出来事は、自分がひとさまに何かすることで役立つことってあるんやなぁっていうことを始めて体験したことでした。

 

「観音様を描く」

 

私はそれを自分が眺めているだけではもったいないので、大きなカレンダーの裏に描きました。

見えている美しさをそのまま描くことはできませんでした。
どうしても人間の綺麗な女性にしか描けなかったのです。

描いた後、目に貼りついていた観音様は、目から剥がれて、少しずつ遠のいて小さくなってしまわれ、そのうちに見えなくなりました。

それで、翌日、友人に会って、「あなたのお友達の、身体を壊した人にこれを渡してほしい」と言って渡しました。

すると、その描いた像は、友人の友達の、身体を壊した人にそっくりだったのです。
図らずも、会ったこともない人の似顔絵となっていたのです。

もしかしたら、その体をこわした方のそばに、観音様はいらっしゃいますよ、という事だったのかもしれません。

体をこわした、友人の友達とは一度お会いしてご挨拶しました。

その後お会いしていませんが、元気でいらっしゃるといいなと思います。

太極拳は習っていたけれども、ヒーリングの勉強は何もしていなかった時期だったので、本当に驚きました。

そんな風にはっきりとお目見えできたのは、後にも先にも、この時一回限りです。
(これから先にあるかどうかは知りませんが)

 

勉強につぐ勉強

 

筋肉反射テストを使って、その人の潜在意識の声を聴くスリーインワンをとことんやり通しました。
資格を得て、アメリカまで行って研修をうけて真髄を学んできました。
とことんやり通した頃、創始者がなくなり、社長が変わり、方向性も変わったように思い、卒業しました。

その後、ボディワークをやりこみましたが、それもある時期、そこを退きやめなさい、というメッセージがやってきました。
それと同時に、ボディワークをやめる方向に物事が動きました。

それで結局ボディワークもやめました。

 

自分を愛するセミナー

 

そこまで来た時に、自分を愛するテーマのセミナーに出会いました。
これは非常に勉強になりました。

トレーナーにもなり、日本各地に飛び回りました。
シニアトレーナーという、そのセミナーの創始者と同じだけのセミナーが開催できる資格にもチャレンジしました。

その勉強のために半年間、月一回、北海道まで飛んで行きました。

セミナー参加者と心の交流をしました。
セミナーに参加したいのに参加できずにいた方と直接お会いし、温かく励まし、無理強いすることなく、参加できるようにサポートすることができました。

そういう体験ができたことはありがたかったと思います。

 

本当は仲がよかった両親

 

自分を愛するセミナーに参加していたのは数年間でした。

やめる寸前に、「両親への誤解」がとけた、というのは非常に大きいことだと思います。

子供の頃、両親が物凄い剣幕で喧嘩をしている姿をよく見てきました。両親が仲が悪いというのは、子供の頃からずっと悩みの種でした。
喧嘩ばかりしている親の間に生まれた子供だから、私は本当はうまれてきてよかったのかな、と思っていました。

長年の悩みでした。

 

ある時、姉から電話がかかってきました。
(このこともyoutubeの動画にしています。)
【漫画】神社参拝で人生観が変わった話

母が姉に「本当は仲がよくて、こどもが寝た後は、こどもをおじいいちゃん、おばあちゃんに任せて、ふたりだけでバーに遊びに行っていた」と言った、というのです。

それを聞いて、即座に信じられませんでした。
わざわざそんなウソをつく母ではないので、ちょっと横において「保留」にしました。保留にしながらも、「子供の頃、私がどれだけ悩んだと思うの!」と愚痴りたい気持ちでした。

その愚痴りたい気持ちを抱えたまま、近所の神社にお参りした時、その愚痴りたい、親を責めたい気持ちを手放すように諭されました。

確かに、私の親が本当にとことん仲が悪かったら、私の性格はもっとねじれていたかもしれない。私の人生はもっと暗かったかもしれない。
すねたりひがんだりしながらも、ここまで無事にすごしてこられるのは、父と母のおかげかもしれないと、その時思い当たり、反省しました。

セミナー卒業

自分を愛するセミナーで、シニアトレーナーとして活動するつもりだったのですが、セミナー開催最低人数を超えることができなかったため、セミナー開催できませんでした。

それだけでなく、その時周辺では色々な問題が噴出していた為、自分を愛するセミナーを卒業することにしました。

でも創始者の方々、セミナー関係者や参加者の皆様にはお世話になりました。

 

ビジネスセミナーに参加

 

自分を愛するセミナーを卒業するのとほぼ同時期に、某ビジネスセミナーに参加しました。

オンラインで自分のビジネスを構築するセミナーでした。

私の目指したのはセラピストでした。
心の悩み、親子職場など人間関係の悩みのサポートをするセラピストです。

 

悩みを解決するのは小さな鍵

毎週ZOOMで、ビジネスセミナーの人達と対話して、相手の不安をどう解決するのか、探っていきました。
相手の得意とする分野をいかしていくことで、悩みを解決することができる、ということがわかりました。

私がやり方を一から十まで知っておく必要はないのです。

例えば、ボディトレーニングの専門家なら身体の動きに注目したアプローチで、悩みを解決できます。

さまざまな栄養学を学んだ人になら、その栄養学にくわえて、どんな人にはどういうアプローチをしたらいいか、ポイントをお伝えしたらそれで、その方は悩みを解決していけました。

殆どは、その人の力でやれるところまでできていました。悩みを解決するのには、あと、ほんの小さな方向性と鍵だけでした。

その方向性や鍵は、それだけでは本当に取るに足りない小さなことです。
しかし、悩んでいるその方にとって「それが正解!」となるポイントなのです。

悩みの解決は「大きなこと」や「大量に勉強する」必要はないのです。

パソコンの使いかたと同じで、解決法は「ちょっとしたコツ」だったり「ちょっとしたコマンド」だったりします。

たとえば
ちょっとイメージの持ち方
ちょっとした呼吸のしかた
ちょっとした考え方

を改善するだけだったりします。

それだけで魔法のようにすべてが変わっていきます。

そこにたどりつかなくて、人は悶々とするのだ、と思います。

 

ビジネスセミナーで知り合った長年のベテランカウンセラーの方の開催する心理学セミナーに誘われました。

セラピストとして、相手の話を聞いてアドバイスする方法は学んできているけれども、確かに私は、人の話を聞く「カウンセリング」そのものは勉強していません。
それで「心理学セミナー」に参加することにしました。

 

「心理学セミナー」に通う

 

長年のベテランカウンセラーの開催する「心理学セミナー」は四国まで毎月通う事になりました。
5人ほどの班を作り、同じ班のメンバーで毎週Skypeを使って、カウンセリングの基本である「傾聴」の練習をしました。

その傾聴の練習が勉強になりました。

 

傾聴の練習

カウンセリングなどの「話」は話し手が実権を握っているようでいて、実はもう一つの実権があります。それは聞き手です。
というのは聞き手のうなずき・相づち、聞いている時の表情が、話し手の「もっと話そう」とか「もっと掘り下げて思い出してみよう」などの気持ち気分を左右するからです。

色々なケースがあります。
・聞き手が話し手の気持ちまで受け止めようとしているか?
・話し手の発する「言葉」の上面だけ受け止めているか?
・話し手よりも聞き手側がいつのまにか饒舌になって話してしまっているか?

など様々なケースを体験しました。

 

河合隼雄氏の本を読みまくる

それと同時に河合隼雄氏の本を集中して20冊以上読みました。
河合隼雄氏は日本におけるカウンセリングを普及させた人です。
カウンセリングは基本自分の話はしない、自分を無にして、相手の話を聞いていきます。それがすごい忍耐だそうです。
クライアントの話を聞く時、何か月、場合によっては何年ものつきあいになっていきます。

そのクライアントが「自殺志願者」や「うつ」の場合、そのカウンセリングはとてつもない忍耐となるようです。

カウンセラーの人の集まりのなかで、河合隼雄氏は言っています。
「僕ら、カウンセラーは人の話をじっと聞いているだけで、結構苦しい。
この苦しみを味わうのは、きっと前世で悪いことをしているからではないか。
人殺しでもしたので、その罪の償いに今世ではカウンセラーをして、人々の苦しい気持ちを聞く仕事をしているのではないか。」

半分冗談、半分本気で、その場を盛り上げるための発言だったようです。

この話を「心理学セミナー」のシェアの時間で話したら、講師の先生が顔を赤めて大きくうなづきました。
だからかなり近いところもあるのではないかと思います。
前世で犯罪をおかしているかどうか、は、別として、結構聞いていることの苦しみというのがあるのだなぁと思いました。

 

二期の苦しみ

一期(最初の半年)は、カウンセリングの基礎や、人間関係構築の見方を学びました。

一期のおわりに、二期には進まないつもりだったのですが、
せっかくできた心理学セミナーの人達との交流を終わらせるのが忍びなく、淋しくなってしまい、もう一期続けようと思いました。

直観では「やめておけ」という声がしていました。
どこかで「あなたの時期は終わったからそこで退きなさい」という声がしていたのですが、あえて続けてみました。

そこで感じたのは「苦しみ」

 

自信のなさから

「不要だよ」と直観から言われたのに、自信のなさから進んでしまい、見なくてもいいのに見てしまったことが前にもありました。

それはキネシオロジーと直観を適応した某ヒーリングの「直観的解剖学セミナー」です。

私は身体の声が聞こえるので、不要だったのですが、たまたまそれをアメリカで勉強して帰ってきた人がいたので、その人に受講することにしました。

「要らない」という直観の声をどこかにおしやって受講した時、経験したことは「苦しみ」でした。

あと数日受けるだけで受講完了という時に、受講をやめました。
このまま受講すると、私は気がふれて廃人になるのではないかという位の境地を体験しました

その苦しみは何ヶ月もあとをひきました。

「自信のなさ」は「善なる」ものも「自分が経験してきた良いこと」すらも信じることができない。
自分も信じられない、自分の心も体も、なにもかも、かえって信じられなくなっていく闇の境地でした。

 

心理学セミナーで傷つく

心理学セミナーの2期の後半で、物凄く傷つきました。

一番傷ついたのは、本当は自分で自分を認めていなかった部分を、講師の人から言われたからなんだと思います。

私は耳が悪いので、普通の人が普通に働ける職場では働けません。

例えば「スーパーのレジのバイト」は絶対できないのです。

がやがやした店内で、お客様を前にして受け答えする、というのは、普通の人が普通にできることです。

それが私にはできない、というのが、私の苦しみです。
いくら補聴器をつけてもそれはできません。

講師は私に言いました。

カウンセリングセンターの厳しい訓練を受けると、とことん否定されて、そのあげく、「カウンセリングなんかやめてスーパーのレジ打ちのバイトをしなさい」と言われて、女子大出身のプライドの高い女性は傷つくのだ、と言いました。

それを聞いて「スーパーのレジ打ちさえできない私はどうするのだ」と思いました。
そして「レジ打ちすらできない私」という風に自分を追いつめ、最後には「自分なんて何の意味もない。私なんて何をやってきたというの、すべては無意味」という風に、心の奥底で自虐し自爆してしまいました。

今から思うと、カウンセリングセンターの訓練は「相手を受容」する訓練をするべきなのに、なぜか「自我を消す、自分を消す」訓練をしだして、
「相手を否定し、自分を否定する」ということをしだしたようです。

そこが道の分かれ目だったのではないでしょうか。

 

本当に相手によりそうカウンセラー

 

とにかく、危険を感じつつ、二期に通い、終わり近くになった時、私はある出会いがありました。

本当に相手の心によりそって聞くカウンセラーの先生に出会いました。

その時初めて私は、自分の心の中の思いをそのまま、うまく言葉にできないままでもそのまま出すことができる、という貴重な体験をしました。

その先生は、聞きながら、相手の心の痛みを、自分の心で感じながら受け取ってくださいました。

そして、私がうまく言葉にできないでいる気持ちを、受け取って、言葉にして返してくださいました。

その時「そうそう! そうなんです!」と心の底から嬉しかったです。
自分が体験していない事は、相手にしてやれない、とも言います。

経験していない事でも相手にしてあげられるのかもしれないけれど、それはよほどの深い心理状態でもないとできない事ですね。

相手の心によりそって聞いてくれるカウンセリングの先生に出会って、私は救われたと思いました。

それによって、苦しんでいた心理学のセミナーの2期をやめることができました。

 

傷つくのは、結局自分が傷つけている

 

色々な経験を通して、わかってきたのは、外側から誰が何を言ってきても、要はそれを受け取るのは自分だなということです。

自分が自分をダメ押ししていたり、「そこが駄目でしょ」と許していなかったりするのです。

どんな良いことが起こったとしても受け取れない。
どんな良いことを言ってもらっても謙遜のふりして受け流してしまう。
そのくせ、他人のちょっとした表情や言葉はすべて
「自分へのジャッジ」と受け取ってしまう。

それらはすべて、自分の心の中、思考の中で、
「自分を甘やかしたらダメ」という命令によって
たった一つの良いこともなかったことにされてしまう。

正当なものを正当に受け止めることが大事で、
全部自虐的な方向にもっていくのではない、という事です。

だから、
自分が自分を許していくのです。

「許す」ことができない時は、まず、ジャッジせずに、そのまんまありのままを受け止めるのです。

「あぁ、あなたは今、こう考えておられるのですね。
それによって、こういう感じがしてくるのですね。
はい、わかりますよ。」
と受け取るだけにしておきます。

そういったことを自分で自分にやっていきました。

 

高次元セミナー

 

本当に心に寄り添って聞くカウンセラーの先生に出会うと同時に、もう一人の救いとなる人に出会いました。

その人は某高次元のセミナー講師でした。

相手の話をニュートラルに聞くと同時に、現実世界で悩み苦しむ人のことと、神レベルの世界の話もできてしまう人でした。

初めは私は「ふぅん、こんな人がいるんだ」と思って観察しているだけでした。

そのうちにその先生の高次元セミナーを受講しようという気になってきました。

 

高次元セミナーを受講

高次元セミナーを四日間連続して受講しました。
そして今までの私の概念を大きく飛び越えてしまう聖者の話をもりこんだスピリチュアルセミナーでした。

規定概念で頭の思考をがちがちに固める癖のある私にとって、ねじをゆるませ、いろいろなものをうけとめる伸び代(のびしろ)がこの時できました。

 

高次元セミナーの先生と神社参拝

 

四日間のセミナー受講の翌日、私は先生と比叡山延暦寺と京都のある神社に一緒に参拝しました。

延暦寺をお参りして、帰りのケーブルカーの中で携帯を延暦寺に落としてきたことに気づきました。

その時先生は言いました。
「携帯を忘れただけでなく、なにかを忘れられて、お参りし直しをする、ということではないか?」

その時思い当たりました。先生を延暦寺にご案内する時に、ご案内するということと、延暦寺に行くというだけで、精一杯で、私は心からお参り、お祈りができていませんでした。

ケーブルカーの窓口係の方に申し出て、もう一度上に上がらさせてもらいました。

一回目に行った時に、休憩した時、椅子の下に携帯が落ちていて、すぐに拾われたようでした。

それで、いくつかだけ、もう一度心をこめてお参りすることにしました。
その時、一回目に行った時には「ここはもういいだろう」と省略した所に行きました。
そこには「世界平和の祈りの鐘」がありました。

先生は「あぁ、ここに行かなければならなかったのですね」とご自分で思われたようです。

私は「世界平和」というのは祈ったことがないなぁと気づきました。
自分のこととか知人友人のことしか祈っていなくて、世界平和のことは全然祈ったことがない事に気づきました。

 

高次元セミナーを受講していて

高次元セミナーに参加しているうちに、不思議な出来事が次々に起こり、「世界平和シリーズ」のスピリチュアルブログも書くようになりました。

高次元セミナーに参加しているうちに、スピリチュアルブログの記事がたまってきて、一年経つ頃、オンデマンド出版で、本を出版しました。

その準備をしながら、自分は自分の感覚があり、自分の価値観を大事にするべきなのではないかという思いがしてきました。

本を出版した時、そのタイミングで高次元セミナーをやめました。

自分に自信がない時自分ですべてを壊す。

 

こうしてふりかえっていくと、自分に自信がない時に、自分ですべてを壊していくし、まわりとの関係性も壊してしまうんだ、というパターンがわかってきました。

と同時に、それは怒った時に、物をぶちまけてしまう父のパターンんだということもわかりました。

そして、私のところに来られるクライアントに、自信をもっていかれるように、プラスとマイナスの視点の両方から、物事を見て、行動をおこしていく勇気が出るように、余裕のある接し方をしていくことが大事だということもつかんでいきました。

私が私自身に対しておこなっていくことが、そのままクライアントへの接し方につながっていくのが興味深いところです。

本当に大事なのは、自分で自分を認めていく事、自分を信じることなのです。

だから、自分を愛することでもあり、自分を慈しむことでもあり、
自分を認めることでもあります。

それらの行為はどれかはできていて、どれかはできていない、ということではありません。

自分を大事にすることそのものです。

でもそうすると、自分だけが大事なのか、ということになります。

 

私は信じる、という言葉にポイントがあるな、と思い、自信メソッドとして、作っていこうと思いました。

 

神社の神様との対話

 

前項で書きましたが、高次元セミナーの講師と一緒に比叡山延暦寺と京都の有名神社にお参りした時がきっかけで、神社にお参りした時にそこに祀られている神様と対話するようになりました。
それ以前から何となく対話はしていたのですが、本格的に対話するようになったのは、それからです。

神社の神様というのは、神に祀られているけれども、もともとは古代に生きていらっしゃった人物だったという場合が多いです。

神社の神様と気を合わせると、古事記や日本書紀に書かれていることの裏側にある「謀られて仕組まれ、無残にも殺されてしまった」ということで、悔しい思いをされているケースが多いです。

そのお気持ちを聞いていますと、なんとなくですが、神様カウンセリングのようなものをするようなことになってきました。

大和朝廷にとって都合の良いお話を考えついて、神話の物語を書き直させられたことが悔しいと言っている神様もおられます。

「実はこれこれはこうだった」ということをブログに書いておいてくれと言う神様もでてきました。

そのうちに、これは日本の縮図かもしれないと思いました。

神様でさえそうなのだから、日本に住む我々は、どうなるのでしょう?

 

社会や目上の存在にあわせて自我をなくす

 

昔「和を以って貴し」と聖徳太子が言いました。
その「和」は建前の「和」に使われているのではないでしょうか。

社会、組織、そういった「大きいもの」の為に私達個人ひとりひとりの思いは「ないこと」にさせられているのではないでしょうか。

日本の神様のなかで、誰もが知っている、有名な神様でさえ、自分の思いはなかったことにされている、と悔しがっています。

善良に生きている人ほど、他人の思いを汲み取り、それがゆえに、他人や組織にあわせて、自分の思いを誰にも言わずに苦しんだりしています。

自我を消して、まわりにあわせることばかり無意識に強要されて生きてきた人が本当に多いのです。

 

自我を消すことなく、まわりと調和する

 

ひどいところになると、自我があること自体がだめだ、という前提になっているところもあります。

(前ページで書きました、カウンセリングセンターなんかもそうです)

自我がある自分はだめだ、ということになってしまいます。

まわりの言う通りに生きてきて、自分の考えを持たなくなります。

まじめに生きる人ほど、苦しむことになってしまいます。
それって悔しくありませんか?

そうではなく、自分自身というものを持ちながら、どのようにして違う考え違う立場の声を受け入れて共存していくか、なのです。

違う意見に対して、自分を消すか、相手を消すかしかないとすれば、それは、きっとこれからの国際社会を生きていくことはできないと思います。

 

過去の日本、大和朝廷はそうだったかもしれません。
今現在の日本もそういう部分はあるかもしれません。
しかし、今から未来を見た時、そのままではいけません。

過去の痛みを癒しつつ、今現在の状況を踏まえ、これからどう生きるのか、どう対応していくのか、見ていく必要があります。

過去を癒すだけで満足していてはいけません。

 

あなたが、今、癒され、今の瞬間から未来、幸福に生きられるように。
自分らしく生きられるように。

True Smileの自信メソッドは、あなたの今と未来を応援しています。